アホな暑さが続き体調管理に苦労する日々

今朝の交差点は既に暑さ満開でこれ以上上昇したら命の補償はないかもとよわい80の爺さんは怯えながら仕事現場へ向かった。重いものはできるだけ避けデスクワークなどの仕事に切り替えたら良いと言う情報もあるが特に優れた技術を持ち合わせていないので考えようもないのである。10年前だったらなんでもない事も思うように出来なくなってきてできない事へのストレスは溜まるばかりで周りに迷惑を掛けているじゃないか?とかでコレもストレスになる。

ストレスの解消にと旨いものでビールを思いっきり飲んでやろうと思うのだが薬づけの日々ではそれが出来ないのである・・。

横断歩道の信号の辺りにPOP看板が出されていて新種らしきスライダーバーガーが食べてってと言ってたがショットだけで我慢・・。

今日は冷やし中華を作って食べる

コレでもかと言う暑さにやっとの思いで家へ辿り着いた。随分前に借家の物干し場で暑い日に気温を測った事があるが想像を遥かに超えた45℃を計測して驚いた事があるが都会のアスファルトの上は35℃を超えた日はそれ以上なんだ。足元は常に酷暑日で毎日クラクラする気温に高齢のカラダには想像以上にダメージがあるようだがそのたび倒れてられないので酔拳の如く部屋へ辿り着く。

5分くらいは呆然として着替えもそこそこに椅子に座り込みひと休みとその前にクーラーをオンにするのが妻が留守の日のルーティーンだ。今日は自分だけの昼食なので決めていた袋麺の冷やし中華を作って食べることになっていたので作り置きの材料がいくつかあるのでほぼ麺を4分茹でれば即食べられる。

ただ、大玉のトマトの冷えたのをと思ったのが唯一誤算だった・・。

中華麺は応用が効くから私のお気に入りである。

猛暑の前に何も言う事なし諦めの境地

今日のようなの猛烈な暑さにもう何年付き合って来たんだろうかだが高齢者になったワタシのカラダにはダメージが多いこと。子供の頃はまだ海が近くにあり夏休みはカラダ冷えるまで遊び赤銅色になるまで焼けていた。今から思えばかなりクレージーでみな火傷を負って喜んで自慢していた。

 昭和30年の頃は家風呂もまだ少なく私はひと停留所にあった銭湯へ行くのがお決まりの時代で街頭テレビに力道山の頃だった。海の日焼けが湯船に浸かると膨らんでぺろっと剥けるのが半分気持ち良く・半分気持ちが悪かった妙な気分を覚えている・・。