リモートも限界で墓参りへ

コロナウイルスの影響下で自分たちの生活は乱され自由な移動もできなくなってからすでに6か月が過ぎてしまった。正確に言えば2月の中旬位から埼玉と東京足立区の孫たちの所へ私たちが訪ねることは一度もなく反対に向こうから来た事が二度ほどある。お互いにマスク着用で食べる時は外してとか短時間で解散とか悩ましいコロナ時代の悩ましいお付き合いである。私たちが行かないのは子供たちの配慮で電車で移動中にコロナに感染したりすると70歳以上は悪化リスクが高いので『来ないで・こない方が良いよ!』と言われているからだ。

そんな中で埼玉の娘から墓参りに行きたいと申し出がありドライブも兼ねて横浜日野公園墓地まで出かけてきたが私は助手席でナビゲータ役だった。車を廃車にしてからは墓参りは電車(JR・京急)で向かい上大岡の駅からバスで向かいそこからは徒歩で墓地まで行くのが普通になっている。墓参りは口実で小学4年の孫が退屈しているのとゲームに夢中になり過ぎるので気晴らしも兼ねてだ・・。10時半くらいに目黒から同乗して公園墓地まで向かい簡単な掃除とお参りを済ませると12時を過ぎていた。墓地のすぐ下にある東屋で持参したパンやサンドウイッチなどで簡単に食べていたら『娘がリスがいる!』と叫んだ。この墓地へは30年くらい来ているがリスを観たのは初めてでタイワンリスだろうか・・。

With Coronaで権之助坂にも変化が

With CORONA の諦め呪文効果もそこそこで東京の感染者数は期待した様には減らず東京都民の私らは悩ましい毎日を送っている。しかし、そう考えるのは高齢者カテゴリーの私らだけの様で手指消毒からマスクやソシャールディスタンシングもお疲れ気味でなんだか緩くなっているのは気になるけど・・。目黒駅には近寄りたくはなかったがコーヒー切れにやなか珈琲へ出掛けてしまったが土曜日と連休初日という事なのか人の数はかなり多かった。行きはバスでタイミングよく来た東京駅南口行に乗り帰りは歩きで権之助坂を下ったがコロナの影響が垣間見られた。

坂の両端に戦後からだろうか店などの建物が崖の上に作られていて外見には判らないが下の写真にある場所から眺めるとその構造がよく解る。

ここはいつの時代も変化が激しく常に崖っ渕な所だ。

体感41℃の超異常な暑さのTokyo

2つの台風が過ぎ去った後もアイランド・ジャパンにはまだその影響が残っているようで異常な暑さが未だ収まらない。来週には最高気温が28℃位で最低気温も20℃くらいの日が増えてそろそろ落ち着く感じだが予報通りになるか疑問だ。猛暑のせいなの蝉の声をパッタリ聞かなくなり反対に秋の虫の音が聞こえるようになり選手交代のタイミングなのだろうか。蝉の声も猛暑の時はうるさく感じたものだが声を聴かなくなると夏が終わるんだなだとなんとなく寂しい感じだが猛暑には早く退散してもらいたい。この夏はヒグラシのカナカナ・カナ〜の声を一度も聞かなかったのでこの辺りには居なくなったのかも知れない。最近はセミを採る子供をこの目黒の街中で見ることは無くなったがお寺や神社のあるところではセミ採り少年はいるかも知れないが少なくとも大鳥神社界隈では見かけた事はない・・。

30年前のうちの子供達が最後のセミ採りだったかな😂