5年が過ぎて・・、

3月11日(金)雨/気温3.5℃で雪がチラつく予報も

5年前の3月11日(金曜日)は今日と同じで仕事の定休日であった。週末に掛けて我が家に泊まる予定の娘と孫を迎えに恵比寿駅まで出掛けて昼少し前に戻って昼食を済ませて3人でひと休みをしていた。古家の玄関のカチャカチャカチャと言う音に鍵を明ける音に聞こえたのでパートナーが帰って来たと玄関まで出たが違ったみたいで2人のいる部屋へ戻る時にこれが地震であることに気が付いた。ただ、いつもの地震と違うのは独特な揺れと大きさはNHKテレビからの映像がすべてを物語っていてこの世の出来事なのかと目を疑った・・。タンスの前で昼寝中の孫には母親が覆い被さるように防御して揺れの収まるのを待ち落ちたものやズレたものを元に戻したり自分達の身を守る準備だけはしておく事にしたと言うかそんな事しか私には出来なかったのであるが・・。当時、パート先が近所の社員食堂だったパートナーも無事帰宅して着たので孫は私はすぐ孫のミルク用に必要なる安全な『水』を買う為にドラッグストアへ向った。この後ミネラル水の品切れ現象が続き苦労したので数本だが買って置いて助かったが追い打ちを懸けるように原発の爆発に寄る放射能漏れの情報から水道水が汚染され小さな子供への影響があると言われ加速するように店頭から消えあのオイルショックのトイレットペーパー騒ぎを思い出した。

当時、ホテルの洗い場で働いていた事がありその日は夜12時前にやっと終了した帰りにホテル内の自販機から買えるだけの500mlのミネラル水を買っていた。12時を過ぎようとしているのシェラトン都ホテル、清正公辺り目黒通りも目黒駅方面へまたは六本木方面へ人達の波が延々と続いていた。私たちは水道水が汚染されたとしても大きな問題は考えないが小さな子供には控えた方が良いので若いママさん達の気持ちは理解出来るものだった。この後、新潟の知り合いの酒屋『千屋』さんからミネラル水が1ケース送られてきたので舎人の孫の処へも分けて地震後1週間我が家に避難していた東大宮の孫の処へも届けた。5年が過ぎ孫たちはスクスク大きくなり来年は男2人が小学1年生、舎人の妹は4歳となりそれぞれ元気で私は老いて逝かれそうだ(置いて行かれそうだ)・・。アレからと言う言葉を毎日のように聞く事があるが高齢期に入っている私には良い状況になるということは日々・年々少なくなり一億総活躍社会なる妙なプレゼンは貧乏な高齢者には一億総玉砕に聞こえてしまうのだがこれって私だけなのかな(嗚呼)・・。

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